青年海外協力隊の目的とは何か。(書類審査、ボランティアの意義、稲盛和夫)
青年海外協力隊を派遣する目的
JICAボランティア事業の目的は、以下の3つと定められている。
(1)開発途上国の経済・社会の発展、復興への寄与
(2)異文化社会における相互理解の深化と共生
(3)ボランティア経験の社会還元
『JICA海外協力隊 応募webサイト 事業概要』より
派遣前の訓練において、何度も耳にする。
とりわけ、現在派遣中の隊員であれば、 (1)の「開発途上国の経済・社会の発展、復興への寄与」という目的に近づきたいが、実際にはそう簡単に辿り着かず、四苦八苦することだろう。
そもそも”ボランティア”とは何か
そもそも、ボランティアの定義とはなんだろうか。
実は、このような質問が書類審査の質問で問われた。
(今の審査書類にもあるかどうかはわからない)
質問
ご自身が考えるボランティア活動の意義、目的を記述してください。
『ボランティア活動の目的とは、自分の技能や知識を困っている人のために役立てることにあります。私にとっては、地位や報酬よりも人助けに注力することが仕事のやりがいとなります。人のために役立ちたいという気持ちが、よりよい活動を行うための原動力になります。
その意義は、同じ志を持つ仲間を見つけ、お互いを高め合うことにあります。個人の活動範囲には限界が生じるため、同志を集め、同じ方向に向かって活動を進めていく必要があります。多種多様な仲間と意見を交わしながら切磋琢磨し合い、お互いを鼓舞し合える関係を築くことができると考えます。』
正直今は、地位や報酬も欲しいという思考に戻ってきたけど、当時記載したのは以上の通り。
他の箇所は今もその通りだと思っている。
ボランティアの目的とは、自分の持っているものを相手にgiveするというところにあると思っている。
なんで、社会の中でボランティア活動に注力しないかといけないという意義は、多種多様な人たちと切磋琢磨することだと思っている。社会に貢献したいと思っても、それは1人だけの力ではななかなか成し遂げなれないので、協力者がいる。そういった協力者と話して協力していくことによって、学びが高まる。
これは、何も無償のボランティア活動のみならず、職場や仕事場の中でも生きてくるはずだと思っている。
営業職に従事していたころは「サービス精神」という言葉に置き換えられていた気がする。
安売りではなく、自分のできることを相手に精一杯見せて伝え、信頼を得るということだ。
”利他”の心
あまり仏教には詳しくないけれども、とても好きな言葉が「利他の精神」だ。
相手のことを気にかけて、敬うこと、相手に施しを与えること。それは時にして自己犠牲を伴っても相手を優先すること。
そういった考えを経営にも取り入れているのが、稲盛和夫氏。
書籍では稲盛氏の考えがよく理解できる。
『生き方』はもう何度も読んだ。
『生き方』の中では、勤勉に働くことこそ、人間が人間らしく幸せでいられるとある。楽しさを得るだけの趣味や娯楽はそれだけで終わってしまう。勤勉に、昨日の自分よりもましな自分を目指して働くからこそ、人生は楽しいと。
また、良い方向に進むと常に信じて努力を進むことで、本当に流れが変わってくるとある。逆も然りで、努力をやめたり、このままでもいいやと思えば、それが現実になる。
バカにする人もいるかもしれないが、本当ではないかと思う。
結果は何も求められない
協力隊事業では、隊員に対して報告書の提出は求めるものの、それは正直感想文程度。
結果をしっかり記しているものが全てではない。
活動終了時や終了後に報告会もあるが、最低限動いた形成が見えれば、「よく異国の地で頑張りましたね」という雰囲気で、活動の中身について深く言われることもない。それで「2年間、現地のために貢献しました」と帰ってしまう。
異文化で色々と悩みの尽きない生活であるし、悩みはその人の置かれた環境でしかわからないから、安全に健康で帰ることができるのが確かに第一だ。
とにかく、2年間は長い。今半年を切ったところだが、まだ時間があるのかとびっくりすることもある。
隊員の目的である以下の3つは忘れてしまいがちになるなと思うこともある。
(1)開発途上国の経済・社会の発展、復興への寄与
(2)異文化社会における相互理解の深化と共生
(3)ボランティア経験の社会還元
「せっかく2年間海外にいられる」
「お金が貯まる」「なかなかいけないところに行ったりして遊べる」
そういった自分を優先してしまう気持ちが強くなる。
それは人間としては当然のことで、人間の思考は自分に甘いようになっているんだろう。
けれども、活動がうまくいこうがうまくいかぬが、ボランティアの目的と意義は忘れずにいたい。
”利他の心”を持って自分のできることをgiveにしに来た。それが自分にとっての本質である。