人生日誌inポンペイ(現在)

開発業界で専門家を目指します。

人生1番のビーチ、太平洋の秘境モキール環礁。(秘境、冒険、大自然、環礁)


6月末、ミクロネシア連邦ポンペイ州に属する、モキール環礁というところに行った。

 

多分、もう一生行けないと思う。

それくらいの秘境。

グーグルマップでは広域的に検索しても何も映らない。

 

とりあえず、タイムラプスはなかなかのが取れた。


mwokilowa stars time-lapse 星空タイムラプス

 

 

ミクロネシア首都のポンペイ島からさらに150キロ東側。

ちなみに、ポンペイ島で淡路島くらいのサイズ。

 

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行き方

まず、日本から行くとなるとミクロネシア連邦ポンペイまでたどり着かないと行けない。

 

ユナイテッド航空一択。

日本→グアム→チューク(一時立ち寄り)→ポンペイというルートでポンペイ国際空港。

 

そこから、行き方が2つある。

 

①空路。セスナで行く。

caroline airline という航空会社があり、ミクロネシア各州の離島をつなげている。

Caroline Islands Air - Home

 

なんと、パイロットは日本人だった!(2019年6月当時)

ポンペイからモキール環礁までは往復240ドル。

人が集まれば飛ぶらしい。チャーターもできるそう。

セスナは7人乗り。

 

操縦席の隣に乗せてもらう。圧巻の景色。1時間半ほどで到着。

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②客船で行く。

 

かなりハードな行き方。離島を周遊する船に乗る。

スケジュールは確認できるが、3、4日平気で遅れたりする。

食べ物や水も全て自分で持ち込むことになり、サバイバル。

一応、客室はあるが、すぐに一杯になる。その場合はもう甲板で過ごすしかない。

ただし、格安で30ドルくらいで往復できるらしい。(?)

キール環礁までは一晩で着くらしい。

 

一応、運輸局(Department of Transportation, Communincation & Infrastructure)

のHPがあるが、運行情報は2017年で更新が止まっている。

直接電話するのがいい。

 

Contact the Department of Transportation, Communications & Infrastructure | Federated States of Micronesia (FSM)

 

島の基本情報

 

 

キール環礁は3つの小さな小さな島で構成されている。

空港があり、人が住んでいるのは1つだけ。

 

人口は年々減少しており、2019年6月時点で50人をきっているのではないかということだ。最盛期で200人以上はいたそうだ。

 

70年前の貴重な映像が残っている。


Mwoakilloa 1946 part 3 of 4

 

もちろん、宿泊施設はない。電話も繋がらない。ラジオをポンペイ島から受信していて、誰がいつ飛行機でくるのか、放送しているらしい。今回はモキール出身のホストファミリーと行ったので、寝る場所はあった。頼めば、島の役場に寝泊まりさせてくれるそうだ。

食事も、自給自足。店はない。食べたいものは持ってこないといけない。

飲み水は全て雨水。煮沸不要。本当に綺麗な雨水。

ポンペイと違うのは、お酒が島の法律で禁止されていること。綺麗なビーチでビールは飲めない。

 

島の中心部を貫くように、3本の道が通っている。

70年以上前からある道らしい。動画に出て来る道路とおんなじ!

 

1番目の道路。通称First road。一番海に近い道路。

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2番目の道路。通称second road。これは島の役場。

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3番目の道路。Third road。もう住んでない家が多くて、草木ボーボー。

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学校も1校ある。

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診療所。

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 ドイツの援助でソーラーパネルとバッテリーがあり、昼でも電気が使える。

頼むと、使わせてくれた。

 

島の見所

何と言っても、手つかずの海。

衝撃的な透明度。

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本当に綺麗なサンゴ。

 

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島の人と一緒に釣りに行った。

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夜は満点の星空。日本から見ることのできない南十字星が見える。(これは写ってない。)

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食べ物は、ココナッツやレモンの木、魚、パパイヤ、蟹、などなど、自然の恵みを存分に感じることができる食材がある。もちろん、現地の人の力を借りて、調達し、自給自足の生活。

 

トビウオがすごく美味しかった。

トビウオを薪で半焼きにして、ココナッツミルクを絞って食べる。新感覚!!めちゃくちゃうまかった。

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物語みたいな暮らし。

木陰で休んで、自給自足で食べたいものを食べる。

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島の人たちの暮らし

前村長の「イチロー」さん。83歳。背筋は伸びて、ものすごい元気。英語も綺麗に話す。

色々とお話を伺うことができ、日本とのつながりや、島の伝統に触れることができた。

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・日本の漁船が周辺に来て、日本人と交流があった。

ざっと、50年前、日本のマグロ漁船がモキール周辺まできていたそうだ。日本人が島に立ち寄ることもあり、その際に日本人の持ち物と島のものを物々交換していたそう。

診療所のおばさんは、日本人からもらったハッカ飴がすごく不味かったという思い出を話してくれた。

イチローさんのお父さんは、日本人の船に乗り、マーシャル諸島にも行き、いろいろな言葉を操っていたそうだ。日本人の勤勉さを学び、イチローという名前をつけたそう。

 

・消えゆく伝統的なカヌー

伝統的なカヌー作りの伝承が途絶えかけている。今島で唯一作り方を覚えているのはイチローさんただ一人。カヌーの作り方は非常に大事な教えで、伝統行事に欠かせない。

しかしながら、エンジンボートが主流になり、漁もカヌーを使わなくなってしまった。

イチローさんがいなくなれば、島にとって重要だったカヌーの作り方を伝えるものがいなくなってしまう。

 

・島の暮らしも近代化

島人が食べているのも、ラーメンだったり、お米、缶詰だったりする。ポンペイから送ってもらった食品が主食となっている。

伝統的な食べ物をもちろん食べているが、安価で簡単に調理できる、加工食品にシフトして行っている。

 

・島の人口が減少

 モキール環礁には小学校までしかない。そこから高等教育を受けようとすると、他の島に移らなくてはならない。そこからアメリカに留学に行ったり、そこで仕事を見つけたり、一度出てしまうとなかなか帰ってこなくなるのだろう。その辺は日本とおんなじ。

昔は200人以上いたという人口もいまでは50人以下。

 

忘れられない思い出

景色や自然はもちろん、言葉にならないほどだった。

外洋に釣りに出た時の海の青さ。

ビーチの透明度。

降りかかるような天の川。

 

こんなところに日本人ってきたことあるんだろうかって思った。

調査でくる日本人はいたそうだが、それよりも、50年以上前の漁船に乗る日本人と交流していたことに驚いた。

 

ここでも日本人は好意的に見られている。

こんな小さな小さな島、太平洋のど真ん中で。

 

世界の果てみたいな場所でも、自分自身が日本人と認識しされて、コミュニケーションを好意的に取れるということがすごく不思議なことだった。

 

すげえ、絵本みたいな物語みたいな島ってあるんだなぁと思った。

もう一生来ることはできないかもしれないが、忘れられない。

携帯も繋がらないし、ただただのんびりと過ごした時間だった。(毎日ほぼ野宿。)

 

島の人たちは、日本メーカーのお菓子を食べて、キャラメル食べる?って声を書けられた。ふつーに日本の森永キャラメル。